あきさんの異常な提案

ダイバーシティのある生活を提案する人のダイバーシティの無い提案。

BiS 7.8 横浜アリーナ ~最後の日に、僕と彼女はどんな夢を見るか~

 ついにこの日が来た。

 2014.7.8 YOKOHAMA ARENA。

 直前までチケットが売れていないという話が飛び交い、都心等でハグ会まで行ってさばいていったというライブ。

 彼女たちの、そして私の東北・女川・沖縄・北海道と続いた長い長い旅路の終着地点へのラストツアーになった。

 新幹線を併用して2時間。東京駅に到着。そこまでに書き溜めたメンバー・じゅんじゅん・田渕マネ・そして一部研究員さんへの手紙をもって、名古屋での1泊2日合宿オフ会以来となる東海道新幹線へ。

 新横浜に降り立つと、平日のオフィス街。なにも無いような中、ところどころにBiSメンバーの葬儀が営まれている案内が、ポツリポツリと並んでいる。

 最後の悪ふざけ。

 知らない人からしてみたら…とも思いながら、一路横浜アリーナへ。

 

 灼熱のアリーナ前では、多くの人が最後の日を楽しんでいた。

 すでに千人規模とも思える研究員同士の同窓会と、なにより研究員が自設した献花台やらが目立っている。

 数名との挨拶や、愛しのIDOLに入っていたマウスパッド何?話に花が咲く。一発で推しのウイぽんをあてていたあの時の自分にとっては、まさに一番ウイカ神が微笑んでいる瞬間でもあった。

 

 ライブまでまだ時間がある。横浜アリーナの中へ入る別の入り口は、実際のライブスペースとは隔離された小さなライブハウスへの入り口。

 そんな入口に吸い込まれると、地下アイドルのライブが行われていた。

 日記を書いている頃にはミスiDでの戦い方が認知されたのと、持ち前のかわいさからプチブレイクしている、プティパの篠崎こころさん。彼女の生誕祭が行われていた。

 途中から入ったので良く解らなかったが、中学生相手の接触のラインがこの日のこの場所で決まるというカオス、それは時として恐怖な瞬間がありつつ、意外と大人紳士が居たような気がする。

 ような気がするというのは、ほとんど記憶が無いからで、この時すでに2杯くらい呑んでいて軽くできていたからだ。

 

 過去のライブで面白かったロリシンさんとか居る中、研究員には有名な飲みドル愛子さんがいた。

 思い切って言うが、愛子さんは相当可愛い。自分の中では歴代BiS11人の中に入れても、可愛さで5位くらいには入るんじゃないかと思ってたくらい可愛い。

 「よし、中学生なんかに負けてらんねーよな。」

 そんな、シラフだったら話もできないような美人相手に、99%童貞みたいな男から信じられない積極性が、99%酒によって発生され、なぜか愛子さんと対面座位チェキを撮っていた。

 

 3時半をそろそろ迎える頃となり、10万円チケットを手にアリーナへ。

 初の横浜アリーナを堪能するべく、アリーナの最上段をぐるりと一周。まだまだポツリポツリと人がいるような横浜アリーナ。ここが本当に埋まるとは思わなかったくらい広かった。

 物販に並ぼうとして失敗してみたり、オールナイトニッポンDVDをゲットして、ウイぽんのお守りをゲット(今も財布に入れてます)したりと、あわただしく2時間がたっていく。

 30分前くらいには席に着けたものの、だれも座らないし、蜜矢聞いてないし。

 

 蜜矢さんが退場し、佐藤さんよりいつものお話。これが聞けるのもラストなのかと感慨深くなりながら、この時紹介されたセキュリティが、こんなことになるのか!とは予想もしていなかった。

 

 1曲目からNerve。しかも舞台上には9人。

 脱退した、りなはむ・ゆけ・みっちぇるの3人が一緒に踊っていた。4月のあの怒号の中から始まった過去メンバーと現メンバーのそろい踏み。ウイぽんのブログでも、これは言ってしまったらかなわないのですと書かれていたし、実際には2人居ないが、それでも最後を記念するいいスタートになった。

 ちなみに、わっきーからはお花が届いていたそうです。最近になってようやくわっきーの良さが染み渡ってきた私。少し残念。

 

 じゅんじゅんのゆるーいwe will rock youから、6人が再登場しFiNALDANCE。そこからwho killed idolの曲が流れてくる。

 最後だし騒ぎたいと、用意されていたフリースペースでリフトやらダイブやらのなかでお祭り騒ぎ!と思っていたが、なぜかフリースペースでもリフトがどんどん潰され、ここから100人vsセキュリティ部隊の戦いが始まって行った。

 とにかく、フリースペースで潰されるのだから、最前の、しかも最前の柵は有刺鉄線が巻かれている柵なのだが、そういう所でもリフトしてはセキュリティが吹っ飛んでくる。

 最後の宴はBiSの葬儀じゃなくて、研究員のガチ葬儀になりかねないような!と思ってしまうようなスタート。

 Flyもいつもみたいにムダなくらいにダイバーがわちゃわちゃすることもなく上がっては潰され、上がっては潰され。上がっては潰される前に逃げ、上がっては潰される前に逃げ。

 そういうライブが最後にやりたかったのかなぁ…と感傷に浸りながら、左の最後尾まで移動すると、その後ろ側、いわゆる1階席の角の通路で踊るりはなむ・ゆけの2人組を見て、良いもの見れたなと思い、そのまま後ろに目をやる。

 記事でも書かれているが、横浜アリーナの5列目からみる、2階席まで埋まった景色は本当に壮観で、自分がちょっとだけ応援してきたBiSを見たい人達で埋まっていると思ったら、感動的な気分になった。

 「100万ドルの夜景」という言葉がある。これ自体が、実際にかかっている電気料みたいなオチのうわさも聞くのだが、これこそまさに「10万円の観客席」なのかもしれない。

 

 ほかにも、ニコ生で素晴らしい手紙を書いてくれた、サキちゃん専属カメラマン?の田島さん(漢字間違っていたらすみません)を見つけ、その時は結構落ち込んでいたので、「このライブで良かったのかな。」と思いながらちょっと田島さんを見ていると、よかったのかなという気分になったり、

 苛烈になるセキュリティとの攻防を「俺がライブを守る!」的なテンションで椅子を並べ直したり、

 「抵抗とは非暴力に見つけたり!」のテンションで、超絶プレミアの中では唯一とも思える、指定席に座るという行動を取ったり。

 まぁ、しっちゃかめっちゃかでした。

 

 ライブは、序盤予想した通り、徐々に遡って昔の曲へと進んでいく。

 メンバーの離脱も多く、他界した人の多さを考えると、徐々に乗りきれない部分もあったりしたのだが、4時間たっぷりという感じがした。

 最後にはメンバーの今後が披露されたが、今やのどの手術から復帰したプールイのバンド。どんどん勢力を増すサキちゃんのプラニメ。遂にメンバーが発表されたコショージのグループ。謎のテンコ。そして、のんウイという唯一2人が同じ所で活動するアレだって、ファンクラブ100人集まったそうだ。

 

 ライブ終了後、当時BiSの他にあったマイブームに「テレクラキャノンボール」がある。たまたま電車で移動中にエロシーンを全カットで5時間かけて観賞しハマったのだが、ミート&グリードのタイミングで出てきたのが、ハマジムカンパニー松尾!!!

 テレクラキャノンボールを見る→実際に北海道に行くというだけでも奇跡的なのに、まさかその次の週に松尾隊長を見れるとは!!と感動していた。

 まさか、来年2月のテレクラキャノンボールがAV監督vsBiSになるなんて思いも知らなかったですが。

 

 ミトグリは、ラストのケータイ全チェキになる事となり、へとへとの自分はへとへとのまま写真を1枚撮って終わりましたが、他のメンバーと最後までチェキを撮り、ライブと合わせて7時間近く戦い抜いた彼女達は本当にすごかったなぁと、小並感ですが思いました。

 

 じゅんじゅんが「ここにいる100人のおかげでここが押さえられた」というのは、真偽はともかく、ほとんどBiSに貢献できなかったけど、最後の最後で何か役にたって、BiSっていう変な物語の最後の1ページに小さく名前が残ったかなーなんて思いました。

 

 その後、大反省会&2次会を経て、新宿へ戻り、3万円ライブに行くお金をもったまま、いくらかをATMに戻し、大宮のピンサロで初めての写真指名をし、BiSっていうアイドル見てきたんですよー。横浜アリーナってすごいですね。という会話を楽しみました。

 思うこと。

 その後、いろいろな情報を得たりしましたが、自分の中では札幌追加公演で燃え尽き、帰京したサマーウォーズ飲み会が、本当の意味での解散後の飲み会だったような気がします。

 「タチバナさん泣くの早いよ!」

 と言われたのは、まだまだ飲み会が序盤だったからなのでしょうが、実際には7.8の夜の分も泣いてしまいました。

 本当に、それくらい札幌が楽しすぎたのかなぁと。

 

 後日、友人Kとアイドル談義をする中で、このライブの感想を言い合う事になった。相手の方は研究員じゃないので伏せますが、私がこのライブの感想を書くとすると

 「別にすごくもなんともない普通のライブだった。」

 「研究員のすごさとか、BiSのすごさとか、そういうのが何にもない、プリミティブな6人の力のライブだった。だから物足りなさとかあるし、ライブ映像見ても、DVD見ても、あの熱量は絶対に無い。ライブだと上手に聞こえたり迫力あるんだけど、マイクのラインを通すと消える魅力があったんだと思う。結局、真夏の夢の幻だったんだなぁ。」 

 「それでも、BiSのような過程を歩んで、横浜アリーナで解散したっていう事実と、そこに人が埋まったという現実だけは変えられないんだし、これがいい名刺代わりになって羽ばたいていってくれるといいな。」

 後日談だが、

 ラジオパーソナリティ構成作家の2人組のトークイベントに月1で行っていた時期があった。

 彼らも通常の10倍以上のキャパシティである日本青年館でのイベントに成功している人達なのだが、横浜アリーナのライブ直後に行われた月1のイベントにて、BiSの話を振ってみた。

「プールイでしょ、それは知ってる。」

「俺全然知らなかったわ。」

「そういえば、俺のところにも解散ライブの招待来たぜ」 

  噂では1000枚くらいの関係者席があったらしい。

 

追伸

 そういえば、イベントに花だしたの初めてだわ…。